漂流木雕刻家 日內地謙| 專訪
日內地謙 1978年生於日本靜岡縣濱松市。 因深受古物與歲月沉澱出的獨特質感所吸引,於2004年創立昭和復古家具店「APARTMENT STORE」。此後約20年間,廣泛涉足空間設計、家具製作、咖啡館經營及古物店等多個領域,始終致力於舊物中挖掘全新價值,並將其融入現代生活。 2023年6月,時年45歲的他與漂流木雕刻結緣,並於同年10月完成該系列的首作《漂流木與動物雕刻 No.1 牛》。2024年4月於東京銀座舉辦首個個展,參展的11件作品全部售罄,成為他人生與創作的重大轉折點;此後陸續在東京、鎌倉、京都、益子、兵庫、葉山等日本各地舉辦個展。2026年,於台灣台北兩度舉辦個展。未來計劃繼續以日本為據點,進一步將創作推廣至海外。
藝術家專訪
日山藝文室編輯 - Queen尼尼
8/8/2026


日本漂流木雕刻家 日內地謙 | 專訪
日內地謙 @hinaijiyuzuru
1978年生於日本靜岡縣濱松市。
因深受古物與歲月沉澱出的獨特質感所吸引,於2004年創立昭和復古家具店「APARTMENT STORE」。此後約20年間,廣泛涉足空間設計、家具製作、咖啡館經營及古物店等多個領域,始終致力於舊物中挖掘全新價值,並將其融入現代生活。
2023年6月,時年45歲的他與漂流木雕刻結緣,並於同年10月完成該系列的首作《漂流木與動物雕刻 No.1 牛》。2024年4月於東京銀座舉辦首個個展,參展的11件作品全部售罄,成為他人生與創作的重大轉折點;此後陸續在東京、鎌倉、京都、益子、兵庫、葉山等日本各地舉辦個展。2026年,於台灣台北兩度舉辦個展。未來計劃繼續以日本為據點,進一步將創作推廣至海外。
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Q1. 從鑑賞古董到創作流木,您是甚麼時候開始發現,漂流木那些風化彎曲的線條裡,藏著動物的形態?當下帶給你甚麼震撼?
“在與漂流木雕刻相遇之前,我曾經營昭和復古傢俱店約二十年,期間從事店面空間設計、傢俱製作與木藝創作的商業工作。然而,店面設計這類接案工作,終究無法百分之百貫徹自己的想法。這份積壓在心中的悶悶不樂與迷惘日漸放大,讓我陷入了長達五年的探索——我渴望尋找一種不同於以往、能真實表達自我,同時又能支撐生活的創作形式。
在那段時期,我創作了一系列名為《破片枯流》的作品。這項嘗試將廢棄的古物、舊傢俱及燈飾配件重新改造成花器,並插上乾花,重新構築成藝術品。如今回首,這種將舊物賦予新生的思維,正是貫穿我如今漂流木雕刻創作的原點。
當時,我透過社群媒體得知了「以漂流木為素材創作動物雕刻」這個領域。 那一瞬間,我感受到一股全身血液沸騰般的強烈震撼。
「我也想試著創作看看。」抱著這樣的念頭,我拿起手上現有的漂流木,從小型作品開始,利用雕刻刀、鑿刀以及迷你電鑽試行創作。黑豹、野豬等動物的形態自然地在木頭中浮現出來,而將順應漂流木的形狀想像成動物,對我而言並非難事;真正讓我苦惱的,是如何不流於想像,將心中所構想以最理想的質感完美呈現。特別是面對大型漂流木時,過往的工具根本無法讓我隨心所欲地呈現心中的畫面。 歷經無數次的摸索與嘗試後,我遇上了如今使用的這套工具,一切才出現轉機。
我終於能夠像在木頭上畫畫一樣,將腦海中浮現的線條直接雕琢於漂流木上。那一刻我深刻感受到,自己過往積累的所有經驗,終於找到全面發揮的創作方式。
與漂流木雕刻相遇約四個月後,我使用這套新工具完成了第一件作品——《漂流木與動物雕刻 No.1 牛》。 這件作品的底座,採用了古董傢俱的椅腳。這正承襲了《破片枯流》時期的理念:讓已結束使命的物件,以全新作品的形式重獲新生。
對我而言,那份所謂的「震撼」,並非僅僅是在漂流木中看見了動物; 而是過往歲月所沉澱的人生經驗、價值觀,以及對未來的生存態度,在與「漂流木雕刻」這種表達方式交會的瞬間,便填補了過去一直缺失的那塊拼圖,一切亦融為一體。 "
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Q2. 您曾形容在海邊收集漂流木宛如一場「尋寶」。漂流木的那些特質會瞬間觸動您的感知,並預示動物形態的存在?這種對形態的靈感是源於挑選當刻,抑或之後的觀察沉澱?
“創作初期,我的核心做法是從一塊漂流木中尋找動物的模樣。當時總希望儘量少去削切,順著木頭原本的樣子去帶出動物的姿態,因此專門尋找外形本就接近動物的漂流木。
然而創作約一年後,我開始感到這種思考方式的局限。因為作品過度受限於漂流木原本的形狀,做出來的造形很容易千篇一律,多半局限於馬或狗這類嘴巴比較長的動物。
意識到這些局限後,我便在摸索中發展出了多種新技法(例如「接合漂流木」與「組合漂流木」等)。透過將多塊漂流木組合為一件作品,我不再需要把所有期待都寄託在單一木頭上,挑選漂流木的標準也隨之產生了巨大的轉變。如今比起「看起來像某種動物」的漂流木,我更看重的是它作為素材本身是否美觀,抑或是否擁有有趣的肌理與表情。
剛開始創作時,我主要是從漂流木整體的輪廓去想像、對應出動物。但現在,我關注的不再是輪廓,而是這塊漂流木獨一無二的個性——像是裡面的凹陷、如波浪般起伏的木肌、特殊的彎曲弧度,或是如羽毛般交疊的樹皮。
舉例來說,有時我會把漂流木上的裂痕,想像成動物生命歷程中留下的傷痕。那是一種將漂流木所刻下的歲月與痕跡,轉化為動物生命軌跡的感覺。
相反地,也有一些漂流木,即使我凝視了半年,依然什麼也看不出來。對我來說,那段時光是整個創作過程中最痛苦的煎熬。當我看著無數漂流木卻一無所獲時,甚至會不安地懷疑是不是自己的感官變得遲鈍了,有時也會覺得是身體或精神狀態影響了敏銳度。
正因如此,當某天突然之間,一隻動物的姿態在一瞬間清晰浮現時,我總會由衷覺得:「原來我當初撿下這塊漂流木,就是為了這件作品啊。」對我而言,那才是真正意義上找到寶藏的時刻,無論經歷多少次,那種喜悅都難以用言語形容。隨著技術與經驗的積累,半年前還看不出任何端倪的漂流木,會在未來的某一天突然迸發出動物的姿態。對我來說,往往是這樣的作品,越有可能成為令人驚喜的佳作。”
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Q3. 漂流木自山林順流入海。您認為漂流木自然流動的痕跡,與動物生命歷程有何共通本質?這種自然定律如何啟發您的創作?
“對我而言,我其實並沒有特別去強調「漂流木的旅程」與「動物的生命」之間有何共同點。相反地,我感受到的,是漂流木在結束原本的旅程後,以動物的姿態重獲新生,重新踏上另一段旅途。
漂流木從山林流向河川,再奔向大海。它們在大海中經歷漫長的漂流,被浪濤與泥沙反覆淘洗磨蝕,最終被推上了海岸。若是就這樣放著不管,它們或許只會在風吹雨打中漸漸腐爛。
然而,當這塊漂流木被我拾起、刻下雕痕,它便幻化為「漂流木動物」這種全新的存在,重新踏上另一段旅途。在日本海岸撿拾的漂流木變成了作品,如今跨越海洋,遠渡至台灣、德國等世界各地。這樣的流轉,讓我感到十分有趣。而我總覺得,這一連串的過程,似乎都冥冥之中包含在一場宏大的「必然」裡。
從我換過許多工作、最終走上漂流木雕刻這條路; 到茫茫木海中,偏偏是這塊木頭被我撿了起來; 再到多塊漂流木彼此契合、組合成一隻動物; 直至最後,這件作品順理成章地交到了某個人手中。 這一連串的點滴,看似都是偶然的巧合;但當回過頭看,我卻能深深感受到其中的必然性。而我,不過是這條漫長過程中的其中一站罷了。
感受與來到手中的漂流木相遇的意義,將當下的自己所能做到的一切傾注於雕刻之中,賦予漂流木動物生命,然後再將這份力量交棒給下一位接棒者。於是,作品便如當年的漂流木一般,以「藝術」的形式,再次於世界各處巡迴旅程。對我來說,這就是漂流木的「第二段旅程」。 "
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Q4. 您主張並非將木材轉化為雕塑,而是發現其自然造型。您何以認為漂流木風化紋理本身,更能承載動物原生形態?這種極力減少人為介入選擇,是否為了同時保留漂流木的時間痕跡與其沉睡的生命力?
“為甚麼漂流木自然的紋理、缺口或凹陷,看起來會像動物?簡單來說,不過是因為我把它看作了那個樣子。
我把漂流木上的裂痕,想像成鯨魚一生中所留下的傷痕;把起伏的木紋看作狼的毛髮;把脫落的樹皮當成鳥兒層層重疊的羽毛。我想,我只是把大自然留下的痕跡,轉化為動物身上的細節罷了。
至於這樣的作品算不算帶有「原始感」,其實取決於動物的題材,也取決於觀者的感受。我自己倒不是刻意要去表現「原始」,而是在思考:要如何把大自然造就的痕跡,巧妙地運用在動物的身體上。對我來說,漂流木本身的形狀與肌理,本來就是大自然親手塑造的「雕刻」。而我不過是承接了這件大自然的雕刻,並在裡面看見了動物的姿態。
大自然花了這麼漫長的時間才打造出的造形,如果我貿然去砍削過多,那使用漂流木作為素材這件事本身,就失去了意義。況且,如果單純討論雕刻的技藝,大自然這位雕刻家,手藝可比我高明太多了。那是經歷了波浪、細砂、風雨以及歲月的堆疊,才誕生出如此複雜的紋理與裂痕,光憑我的雙手,是無論如何也模仿不出來的。正因如此,我會盡可能減少人為修飾的痕跡。
另一方面,只要是我親手刻的部分,就必須刻得足夠精緻、足夠逼真,才撐得起大自然原本的造形。因為只有這樣,大自然雕琢的痕跡與我雕刻的部分,才能在作品裡達到真正的平衡。保留大自然的造形,與寫實地雕琢動物——將這兩個看似矛盾的行動,在同一件作品中融為一體,我的漂流木雕刻才算真正完成。 "
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Q5. 您提到作品是由「自然的痕跡、創作者的感知,以及觀者的想像」共同完成。當作品走進觀眾的視野時,您認為它的生命是在延續,還是在經歷另一場漂流?
“對我來說,作品刻好的那一刻,並不代表它就徹底定型了。隨著我技藝的提升,或是看素材的角度變了,只要作品還留在手上,我常常能從中發現過去未曾察覺的細節。特別是展覽結束、作品又回到身邊時,我總會想:「它會重新回到我身邊,是不是還有甚麼沒說完的話?」於是,我會再次靜下心來看著它。要是覺得不夠,就再補幾刀,或者加上一塊新的漂流木。作品的模樣變了,我也可能更改它的名字,或者重新為它寫一首短詩。所以,只要作品一天還留在我手裡,它就一直保有繼續蛻變的可能。
反過來說,當有人決定收藏作品的那一刻,我對它的創作才算真正告一段落。比起說觀眾延續了作品的生命,我更覺得,是收藏它的人,要和這件作品一起展開一段全新的故事了。「動物」這種題材,本來就極具共鳴,很容易讓人把自己的情感與記憶寄託上去。就像大家會把寵物當成家人一樣,也許正因為作品裡帶著這種生命力,對某些人來說,它會慢慢變成像家人般的陪伴——比如每天清晨醒來,會自然而然地向它道一聲早安。”
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Q6. 當您開始以流木雕刻家的眼光重新觀看大自然,山、河、海對您而言是否有了完全不同的意義?這段創作歷程,給了您怎樣的自然體會?
“對於大自然自然形成的有趣形狀和表情,我確實比以前更加在意、也更花心思去觀察了。就像現在用來做作品底座的石頭,就是在我開始注意這些細節之後, 才被我找出來的素材。不過,這並不代表我眼中山川大海的樣子發生了甚麼巨大的變化。
真要說有甚麼不同,應該是我在看著大自然時,會比以前更快聯想到創作——去思考它和創作之間有沒有連結,有沒有甚麼靈感可以延伸到漂流木雕刻上。反而真正讓我感受到巨大轉變的,是我自己想去學習和探索的方向。
以前因為做室內設計,我習慣翻看雜誌,或者親自跑去各種空間和店家,尋找能吸收並在工作中能運用到的東西。現在,我探索的核心已經完全轉向了「藝術」。我沒有在美術學院接受過正統教育,所以只能靠自己過去累積的經驗做基礎,一邊閱讀感興趣的藝術家訪談、了解他們的想法;一邊跑美術館、看藝術媒體,一步步摸索出屬於自己對藝術的理解和看法。
所以,與其說是我對大自然的感受變了,倒不如說,是我從做室內設計轉向藝術創作這個展現自己的領域,才是最根本的轉變。”
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Japanese version:
Q1. 骨董の鑑賞から流木アートへ向かう中で、流木のラインに「動物の姿」を見出したのはいつ、どのようなきっかけでしたか?その際の衝撃についても教えてください。
→流木彫刻と出会う前、私は約20年間、レトロ家具店を営みながら、店舗デザインや家具製作、木工を自ら手がけてきました。しかし、店舗デザインなどの依頼仕事では、自分の考えを100%形にすることはできませんでした。そのモヤモヤが次第に大きくなり、今までとは違う形で、自分らしく表現できるもの、なおかつ仕事として成立するものはないかと、5年ほど模索する日々が続きました。その頃、「破片枯流(はへんこりゅう)」という作品を制作していました。使われなくなった古い家具や照明のパーツから花器を制作し、そこにドライフラワーを生けてアート作品として再構成する試みです。
後から振り返ると、この考え方こそが、現在の流木彫刻へとつながる私の創作の原点だったのだと思います。そんなタイミングで、SNSを通じて、流木を素材に動物を彫刻するというジャンルがあることを知りました。それを知った瞬間、全身が熱くなるような衝撃を受けました。自分でも作ってみたいと思い、手元にあった流木で小さな作品から制作を始めました。最初に使った道具は、彫刻刀や鑿、小型ルーターでした。黒豹や猪なども比較的自然に動物の形になっていきました。流木を動物として見立てること自体は、私にとってそれほど難しいことではありませんでした。一方で苦労したのは、見立てではなく、思い描いたクオリティで形にすることでした。特に大きな流木に対峙した時、それまでの道具では思うように表現できませんでした。そして、試行錯誤を重ね、今使っている道具と出会ったことで、すべてが変わりました。頭の中に見えていたラインを、そのまま流木へ描くように削ることができるようになりました。その瞬間、それまで歩んできたすべての経験を生かせる表現を、ようやく見つけることができたと感じたのです。
流木彫刻に出会って約4か月後。今使っている道具で最初に完成させた作品が「流木と動物彫刻 NO.1 牛」でした。台座にはアンティーク家具の脚を使用しています。これは、「破片枯流」で取り組んでいた、役目を終えたものを新たな作品として生かすという考え方を受け継いだものです。私にとっての「衝撃」は、流木の中に動物が見えたことではありません。これまで積み重ねてきた人生の経験や価値観、そしてこれからの生き方が、「流木彫刻」という表現と出会ったことで、今まで足りなかったピースが埋まり、一つにまとまったことです。
Q2. 海岸での流木集めを「宝探し」と表現されていますが、どのような特徴から動物の形態を予感されるのでしょうか?その直感は拾う瞬間と、持ち帰った後の観察のどちらで生まれますか?
→私の場合、その直感が生まれる割合は、拾う瞬間が約2割、持ち帰ってアトリエで観察する中で生まれるのが約8割です。制作を始めた頃は、一つの流木の塊の中から動物を見つけ出すことが制作の中心でした。できるだけ削らずに動物をすくい上げたいと考えていたため、動物に近い形をした流木を探していました。しかし、一年ほど制作を続けるうちに、その考え方だけでは限界を感じるようになりました。流木の形に作品が左右され、馬や犬のような鼻先の長い動物など、似たような造形になりやすかったからです。その限界を感じたことで、私の中でさまざまな技法が生まれていきました。(接合流木‧組流木など)複数の流木を一つの作品として構成することで、一つの流木だけにすべてを求める必要がなくなり、流木選びの基準も大きく変わりました。
今では、動物に見える流木よりも、一つの素材として美しいか、面白い表情を持っているかを重視しています。制作を始めた頃は、流木全体のアウトラインから動物を見立てることが中心でした。しかし現在は、流木のエグレや波打つ木肌、特徴的な曲がり、羽のように折り重なった樹皮など、輪郭ではなく、その流木だけが持つ個性を見るようになりました。例えば、流木の裂け目を動物が生きてきた証である傷として見立てることもあります。流木が刻んできた時間や痕跡を、その動物が生きてきた時間へ置き換えていくような感覚です。逆に、半年間眺め続けても、何も見えない流木もあります。
私にとって、その時間は制作工程の中で最も苦しい時間です。たくさんの流木をどれだけ眺めても何も見えないと、自分の感覚が鈍ってしまったのではないかと、不安になることもあります。体調や精神的な状態が影響していると感じることもあります。だからこそ、ある日突然、一頭の動物が瞬間的に見えたときは、「この作品のために、この流木を拾っていたんだ」と感じます。私にとって、それこそが本当の意味で宝を見つけた瞬間であり、何度経験しても言葉にならないほどの喜びがあります。技術や経験を積み重ねることで、半年前には何も見えなかった流木から、ある日突然、動物が現れる。私にとっては、そのような作品ほど、優れた作品になる可能性が高いと感じています。
Q3. 山から海へと流れる「流木の旅路」と「動物の生命」には、どのような共通点があるとお考えですか? それがご自身の創作にどう影響していますか?
→私自身は、「流木の旅路」と「動物の生命」に共通点を見出すことを、それほど重視しているわけではありません。むしろ私が感じているのは、流木がそれまでの旅を終えた後、動物の姿を得ることで、新たな旅を始めるということです。流木は、山から川へ、そして海へと流れ着きます。長い時間をかけて海を旅し、波や砂に削られ、やがて海岸へ打ち上げられます。そのままであれば、雨風にさらされ、少しずつ朽ちていくだけの存在だったかもしれません。しかし、その流木が私に拾われ、彫刻を施されることで、「流木動物」という新たな存在へ変化し、再び別の旅を始めます。日本の海岸で拾った流木が作品となり、今では台湾やドイツをはじめ、海を越えて海外へ渡っていく。その流れを面白く感じています。
そして私は、この一連の流れが、一つの大きな必然の中にあると感じています。私がこれまでさまざまな仕事を経験し、流木彫刻に辿り着いたこと。たくさんある流木の中から、選ばれる流木があること。いくつもの流木の組み合わせから、動物が生まれること。そして、その作品が誰かのもとへ渡ること。一つひとつは偶然の連続のように見えますが、振り返ると、その中に必然性を感じています。
そして私はただ、その長い流れの中の一部分を受け持っているだけだと思っています。自分のもとに届いた流木との出会いに意味を感じ、そのときの自分にできるすべてを彫刻へ落とし込み、流木動物を生み出し、次の人へバトンタッチする。そして作品は、かつての流木と同じように、アートとして再び世界を巡っていく。私にとっては、それが流木の「第二の旅路」だと思います。
Q4. 「改変ではなく発見する」という姿勢において、流木の風化した木目そのものが、なぜ動物の原生的な姿を表現できるとお考えですか? 人為的な手を抑える理由もお聞かせください。
→流木の自然な木肌や欠け、エグレが、なぜ動物の姿に見えるのか。単純に言えば、私がそのように見立てているからです。流木の裂け目を、鯨が生きてきた中で負った傷として見立てる。波打つ木肌を狼の毛並みとして捉え、剥がれた樹皮を鳥の羽の重なりとして見立てる。自然がつくった痕跡を、動物の身体に置き換えて見ているのだと思います。それを「原生的」と感じるかどうかは、動物のモチーフや、鑑賞する方の感性によっても変わると思います。私自身は原生的な姿を意図して表現しているというより、自然がつくった痕跡を、どのように動物の身体として生かすかを考えています。
私にとって、流木が持つ形や木肌は、それ自体が自然によってつくられた「彫刻」です。私は、その自然の彫刻を受け取り、そこに動物の姿を見いだしているのだと思います。せっかく自然が長い時間をかけてつくった造形を、私がむやみに削ってしまえば、流木を素材として使う意味そのものが失われていきます。そして、純粋な彫刻の技術で言えば、自然という彫刻家の方が、私よりもはるかに上です。
波や砂、雨や風、そして長い時間によって生まれた複雑な木肌や裂け目は、私の手では決して同じようにつくることができません。だからこそ、人の手を加える範囲はできるだけ抑えています。一方で、私が彫刻する部分には、自然の造形に釣り合うだけの、緻密でリアルな動物表現が必要になります。自然がつくった部分と、私が彫刻した部分。その二つの彫刻としての強度を対等にするためです。自然の造形を残すことと、動物を写実的に彫ること。一見すると相反するこの二つの行為を、一つの作品の中で共存させることで、私の流木彫刻は完成します。
Q5. 「自然の痕跡、創作者の感性、鑑賞者の想像力」で完成する作品は、鑑賞者と出会うことで生命が「延長」する感覚ですか? それとも「新たな旅(漂流)」が始まる感覚でしょうか?
→私にとって、作品は制作を終えた時点で、完全に完成が確定するわけではありません。作品が自分の手元にある間に、技術や見立てが進化すると、それまで見えなかった改善点が見えてくることがあります。特に、展示を終えて作品が自分のもとへ戻ってきたときには、「この作品が戻ってきたことには、どのような意味があるのだろう」と考えます。そして、あらためて作品と向き合い、必要であれば彫り直したり、新たな流木を付け加えたりします。それによって作品の見え方が変わり、作品名や添えている短い詩を変更することもあります。
そのため、自分の手元にある限り、作品にはまだ進化する可能性が残っています。一方、購入者が決まることで、私による作品の進化は、一つの区切りを迎えます。鑑賞者との出会いによって作品の生命が延長されるというよりは、購入者と作品との新しい物語が始まる、というイメージです。動物というモチーフは、人にとって、感情や記憶を重ねやすい存在だと思っています。ペットを家族のように思うのと同じように、作品にも生命感があるからこそ、人によっては、朝に挨拶をするような、家族に近い存在になっていくのかもしれません。
Q6. 流木作家の視点を持つようになってから、山・川・海に対する見方や意識はどのように変化しましたか?
→自然がつくり出す面白い形や表情に対しては、以前よりも意識を向けるようになりました。現在、台座に使用している石なども、その意識の中から見つけ出した素材です。ただし、山や川、海など、自然そのものの見え方が大きく変わったという感覚はありません。
自然を見るときに、そこから作品との関係性が生まれるか、流木彫刻へつながる何かがあるかという点には、以前よりも強く反応するようになりました。むしろ、大きく変わったと感じるのは、学びたいと思う対象です。それまではインテリアの仕事をしていたため、雑誌を読んだり、実際に店舗や空間を見に行ったりしながら、自分の仕事へ吸収できるものを探していました。
現在は、その探究の中心がアートへ移っています。私は美術大学などでアカデミックな美術教育を受けていないため、自分の過去の経験を土台に、関心を持った作家のインタビューや考え方、美術館やアートメディアなどに触れながら、アートに対する自分なりの答えを模索しています。自然に対する感じ方が変化したというよりも、自分を表現する舞台がインテリアからアートへと大きく切り替わったことが、私にとって最も大きな変化だと思います。
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日本漂流木雕刻家介紹|日內地謙
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1. 日內地謙 @hinaijiyuzuru
2. 流木と動物彫刻
















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